シャドウバースについて質問してみよう。
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シャドウバースの回答詳細
Twitterにいいのが流れてた
主人公の竜ヶ崎ヒイロは良い人風だが何かさっぱりし過ぎて人間味がない。そのため共感を持てない。
特にそう思った3つの部分を記す。
・スマホをねだる(言動から多分、普段からねだっている)→断られる→満面の笑み。
この年の男子なら不貞腐れたり、食い下がりそう。
・走行中のバス内で大声を出す。バス内の人たちを回って頭を下げ謝る。
普通は謝罪せず恥ずかしくて照れるだけ。あと、走行してるときに動き回るな。危ない。
・牙倉という不良に友達はスマホを取られた。→主人公は真剣な眼差しで牙倉を倒しに行く(ここは良い)→牙倉とシャドバする。主人公「シャドバ楽しい!」(あれ?)→牙倉は奪ったスマホを別の奴に取られてた。主人公はそれに怒ることもなく、牙倉のことを心配する。(え?)
これでは良い人風の無関心な人感じがしてしまう。
または、シャドバが楽しかったから友達のスマホはどうでもよくなったという印象。
主人公が怒るか、城之内ポジションのキャラが怒って殴りかかる所を主人公が制止するとか欲しかった。
アニメ見た方は主人公をどう感じましたか?
プリコネのアニメ第1話を見た感想だとアレは結構良かったと思う。デュエマの幼児化した白凰を思い出した。
これでいいのか・・・・そうか、俺もおしゃぶり買おうかな
俺は主人公が良い奴やまともな奴じゃなくても良いと思っている。ただそれに説得力があるかどうかの問題。
説得力がどうこういってる時点でこのコメントの心理も主人公も、彼が生きるアニメの中の世界も理解出来ていない
アニメには説得力は必要だよ。性格や感情、行動、演出でこのキャラは生きていると感じさせなければいけない。RPGゲームだとプレイヤーの行動や感情を尊重するために敢えて主人公の感情を出さないようにすることはある。
演技、舞台に関わっている身として、そちら側からの視点で言わせてもらってる。感情移入は文字通り「精神の移し(写し)入れ」であり、あくまで客観視の延長上にあるものであり、「乗っ取り」や「彼が自分だったら」と言う感性のはたらきでは無い。生きていると感じさせる、感じさせようと演じる事はなく、その役が与えられた瞬間からその存在は自分であり、その瞬間より前の時間から断続的に生き続けてきているものとして扱わねばならない。我々はそう表現を発信してるのに、それをその瞬間だけでの説得力=受け手の理想の憑依や寄生を一番の物差しに判断されるのは、この作品に携わったあらゆる人々に申し訳が立たない。
その通り。アニメキャラでも視聴者が見てる前から生き続けているものである。生きているからそのキャラの一貫性が出てくる。主人公はスマホをねだるわりに妙に諦めが良い。友達がスマホ取られて怒るわりに取った犯人に怒ろうとしない。行動や感情に一貫性が出ていない。