シャドウバースについて質問してみよう。
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シャドウバースの回答詳細
Youtubeは詳しくないけど、YouTubeの配信を何処まで見せ物と定義するかによるのではないでしょうか?
スーパーチャットというものを個人の行為として捉えるか、動画のコンテンツの一部として捉えるか、というのは、今の常識で考えれば個人の行為としてくくられますが、では、なぜ、極めて個人的な行為であるスーパーチャットが第三者である他人に確認出来る形なのか?という疑問がうまれます。
この点に言及するならば、個人的にはYouTubeは自社の動画という括りに視聴者の参加という定義を加えたいのだと思いますね。
雑に言ってしまえば、投げ銭をするのも自由、投げ銭の金額の大きさに驚くのも自由、その金額を馬鹿にするのも自由って感じでしょう。
勿論、表立って推奨はしないでしょうが。
その為のサービスがスーパーチャットやコメント欄なのでしょう。
下衆な話ですが、その行為は資本主義的に考えて極めて正しい。
それは、動画をただの動画としてくくってしまうよりも、視聴者が参加できる競売的なコンテンツとしての側面を持たせる事によって、より大きな影響(金の動き)を市場に齎す事が出来るからです。
常識的、人道的に考えれば、スーパーチャット金額なんて、スーパーチャットを与えた本人だけの問題であり、他人がとやかくいう事ではありません。
しかし、まだこの投げ銭の様な制度も始まったばかりであり、投げる方の意識、投げられる方の意識、それを見る第三者の意識も発展途上です。
そして、金額の是非については自分も言及すべきでは無いとおもいますが、善人が多く、三桁程度の投げ銭が認められる常識的な世界と、下衆だらけだが、良い動画をあげれば五桁は固い世界では、どちらが動画の質が上がるだろうか、と考えてみるのも、かつての共産主義に当てはめてみると、新たな考え方を質問者さんに与えてくれるかもしれません。
長文失礼しました。
ラーメンは中本
とあるシャドバの配信でスーパーチャットで応援をした方がいたそうです。
しかし、金額が大きなものではなかったので、それに対し、小銭だとか、はした金だとかで応援した方が何人かに叩かれていました。
この話、どう思いますか?
興味ない方は美味しいカップラーメン教えて下さい!
スパチャを動画の一部とする意見に感服しました。確かに、“配信者+コメ欄同士”の交流によって、その配信者の上げている動画の個性や目標をより強く感じることが多々ありました。